Designer Interview クリエイティブディレクター・デザイナー 関口 裕 Yutaka Sekiguchi
DORP INSPIRATION 2014,2016、そして2020と招致している日本デザインセンターの関口裕さん。浜松市に移り住んでいたのは新設間もない静岡文化芸術大学での在学期間。東京へ就職し着実にデザイナーのキャリアを積み上げる現在、当時を振り返るところから今もデザインに関わり続ける思いを探る。
誌面制作からウェブ制作へと変化する中で貫いたポリシー
まずはキャリアの経緯とどんなことに携わったのか教えていただけますか。
こんにちは。今回もお声がけいただき嬉しいです。よろしくお願いします!
そうですね。まず、このDORPの主宰でもある鈴木くんと同じ静岡文化芸術大学の3期生として、浜松でプロダクトデザイン※1を学びました。その後2006年、エディトリアルデザインで歴史のあったアレフ・ゼロ社、現社名コンセントにひょっこり入社して、キャリアの約半分のあいだ雑誌や書籍、広報誌などのページもののデザインワークをやっていました。
その後、社名変更とともにウェブ制作の部門へ異動、社内転職のようなかたちに。広告寄りのキャンペーン的なものはあまりなく、中規模の企業サイトや、複数のブランドや国・地域をまとめてデザインの整合性をとるような、今でいうデザインシステム的なもの、またクライアントと地道に伴走して長期で作り上げるスタイルの制作が多かったです。そして出版制作での編集的な経験と突き合わせるかたちで、IA※2とか、UXやHCD※3といった広めの視点を求められる仕事をしていました。ウェブアクセシビリティ※4が学生時代に習ったユニバーサルデザインと繋がったり、セマンティクス※5とマテリアルオネスティ※6といった考え方にもこの頃出会いました。学生時代からの点が線になってきたのがこの頃です。
2年半ほど前に現職に至ります。若い頃信じていたアウトプットの作用を感じることができ、結果的にですが、いま僕自身は直接的にモノを作り上げるよりもプロジェクト自体をデザインするようなことをしています。会話を通して気付きや違和感・クライアントの仕事上の課題をみつけて、案件にしたり、その目的を描いたり、できているかを観察したりしています。一貫しているのは、ものごとを「伝える」ことに粘り強く取り組むこと。そして色々な人との「関わりを通して何かを作っていく」ことでしょうか。
デザインとその文化に触れた浜松を振り返る
なるほど。デザインの学びのスタートは浜松からだと。
「伝える」「関わりを通して何かを作っていく」姿勢も学生時代から?
そうですね。これも鈴木くんたちと一緒にやっていた活動になりますが…専攻として立体物・道具のデザインに向かい合いつつも、グラフィックがやりたいという気持ちが捨てきれなくって。サークルという形で、仲間たちと学内外でお仕事のまねごとのようなことを日夜、やりこんでいましたね。昼間は大学、夜は個人活動の日々でした。
中小企業の二世三世の方に厳しく社会人として接していただいたり。当時は四つ打ちハウスミュージックのブームでしたから、クラブに通ってお兄さんたちに可愛がっていただいて…楽器メーカーの方が謎の機材を持ち込んでVJをされたりするなかで一緒にフライヤーを作らせていただいたり、地元にもこんなエキサイティングな方達がいるんだと実感させてもらったり、著名なミュージシャンのフロアを体感させていただいたり…。印刷所の方の紹介で短期アルバイトさせていただいたDTP事務所では、学生当時は目にも留めていなかった生活に根差したデザインの裾野についてみっちり焼き付けられ、視野が大きく広がりました。
また同じ大学内に「文化政策学部」がありましたから、その子たちと一緒に企画をしてそれを実際に学外で運営したりもしていましたね。そのなかでは、ただモノをつくるだけではないその前後のこと、ひとりよがりでは物事は動かないこと、そして「企む」ことや、価値観の違う人たちと一緒に悩みながら一つのものを作り上げる楽しさを学びました。全部、今思えばなんですけどね。毎日とにかく必死でした。将来への焦りからか、血気盛んでしたね…。
「アウトプットの作用」。手を動かして伝えてきた「何か」
仮に動機が焦りでも行動していたんですね。浜松にもその受け皿があったのも面白い。
現職で体感している「若い頃信じていたアウトプットの作用」もこの頃に生まれた信念なんでしょうか。
はい、浜松にはその受け皿的な空気が確実にありました。うまい言い様がないのですが…。
アウトプットの大切さについては、やっぱり夜な夜なグラフィックを作っていた原体験がある故かなあ、と思っています。Adobeがなかったらデザイナーになれていなかった世代ではありますが、だからこそ独りデスクトップでこねくりまわしたグラフィックや文字組みが、周囲の人達の表情を変えることができる、誰かの役に立てる、自分でもきれいなものを探ってもいいんだ…と、そういうシンプルな自分自身の欲求に繋がっているのかなと未だに考えています。
仕事としてデザインをやっていくと、つい正論に傾きがちですよね。事実、それがないと綺麗事になってしまいますし、そういう事例をたくさん見てきたんです。でも、そういったアウトプットと繋がるような根っこの欲求を見失うと、眼の前の人たち、例えばクライアントとか、チームメンバーの顔が気がつくと曇っていたり、陰っていたりするんです。それは、やっぱりプロセスや手法に偏っていてはデザインが成立しないからなのでは…と考えたり。
良いデザインのために気づいた「デザインの対象範囲」
曇った表情を見てしまうと学生時代の情動とのギャップを感じてしまいますね。平易な言葉ですがモチベーションというところですか。そこで現キャリアの「プロジェクト自体をデザインするようなこと」に力を入れ始めたということでしょうか。
そうですね…単純により良いデザインがしたい、世に出てほしいだけなんです。「いいもの、美しいもの」がポシャるところはもう見たくない。ほんとうに単なるエゴです。ただそれには結局、気持ちのよいアウトプットが絶対的に必要で、そのためのプロセスって…とリバースエンジニアリングしていくと、「いかに腹を割って話せるか」とか、「信頼しあって仕事ができるか」みたいな、一見、精神論のようなところへ行き着くんです。
そうなると、会社対会社とか受発注の商流とか、そういう建前や手続きはただの形式でしかなくて。それを抜けた状況へ行くためには、人任せにしていては状況は変わらなくて、自分が動くしかないんだな…と、様々な案件や出会いを通して気付かされました。結局、そこまでが僕にとってのデザインの対象範囲だったのかなと。なのでその時々にあわせた人材や組織へのアサインオファーとか、見積作成、なぜそうなのかをまとめた提案書、どこまでいくべきかの指針となるコンセプトやキーワード、ゴール設定、それを実現させるための施策案も、自然と紐付いてきてしまうんですよね…。
「資料作成」というとものすごく非クリエイティブな感じがしますしドキュメンテーションそのものには意味はないのですが、がちがちのロジックも、恥ずかしくなるようなポエムもひとまとめにして、ある意味ラブレターをしたためるような気持ちでやっています。ひとつでも、美しいものを世に出したいんです。そして、誰かがほんの少し幸せになるかもしれないところを見たい。僕が見たいんですね。
綺麗事にしないために・肯定するために「動く」
わかります。私たちもそういう熱量に救われてきたのだと思います。
どんなに美しくしても関わる人が気持ちよくリリースできる必要がある。その方がゴールに近づきそうですね。
目的を達成しつつ、なお出来上がった物が美しい。
はい。僕の言っていることはしばしば綺麗事だと言われてしまうことがあります。実際、この手で現実にできなければその通りになってしまう。ただ、やっぱりそれをあきらめたくないんです。僕自身を含め、人間はそんなに強くありません。正義や道徳、利益、美醜などの二元論で語れるほど、世の中ははっきりしていないんじゃないかと…この浜松にいた頃から漠然と、ずっと思っていたんです。そうではなくて、もっと曖昧でわかりにくくて、もしかしたらかっこよくないかもしれない・立派ではないかもしれないことを肯定していきたいと今は考えています。仕事では、けっこう押しが強くなったりしてしまうんですけどね…(苦笑)。
エンジニアリングがデザインと切り離されて語られた時代は00年代で終わっていると思います。そして10年代を経て、テクノロジーは決して冷たいものではない、という肌感覚になっている。これはあくまで僕の受け止め方ですが…。そしてこれから先の私たちの「動き方」について、曖昧なままそれらと向き合っていくことができないか、実践できないか。そういうことに、いま興味があるんです。
お話聞けて良かったです。自分ごとにしていく力が補給できました。最後にDORP INSPIRATION 2020に向けて一言お願いします。
僕は静岡県富士市の出身ですが、第二の故郷は浜松のような感覚なんです。こうしてお声がけいただけること、本当にうれしく楽しみです。当日は、僕がお話するだけでなく、様々な職業、様々な年齢の方と会話できたらいいなと思います。どうかよろしくお願いいたします。あ、僕は胃弱なんですが、天綿の天丼が食べられるように胃を整えておきますね…。笑。
Profile
- 関口 裕Yutaka Sekiguchi
1983年生まれ。日本デザインセンター オンスクリーン制作室 クリエイティブディレクター・デザイナー。静岡文化芸術大学でプロダクトデザインを修めた後、エディトリアルデザイン・情報デザインを扱うデザイン会社コンセントに就職。雑誌を中心に紙媒体のデザインに携わった後、大・中規模のコーポレートサイトやブランドサイトの制作を軸としたアートディレクションに従事。近年はクリエイティブディレクターとしてプロジェクトそのもののデザインを行う。メディアや規模感・価値観の違う案件を同時に進めるのが好き。好物はゴボウ。
https://ndcosd.jp